卓球ライフサポーターOKPのブログ

卓球通じて自分の自己啓発になるような内容をお話ししています

子供の可能性無限大!のびのび育て方  

おはようございます!

 

おかぴーです!

 

今日のテーマは、

「子供の可能性無限大!のびのび育て方」

についてお話しようと思います。

 

 

子供達には、

のびのび育ってほしい!

世の中の荒波に耐えうる立派な大人になってもらいたい!

等々、願っていませんか?

 

そんな方々に向けてお話しします。

なおこのお話は、自分自身へのメッセージでもあります。

 

 

信用することが一番大事

 

ズバリ!結論から言います。

 

子供達を「信用」しましょう。

 

信用すると、子供達の行動や思考、すべて安心して見守ることができます。

見守っている中で、とても危険なことが起きそうとか、助けを求めているときには、

いつでも手を差し伸べてあげれるように「そっと」手を添えておく、

触れているけどキツすぎない、子供達が安心していつでも走り出せる状態。

こんな自然な感じで信用できるといいかなと思います。

 

「信用」することで、可能性は無限大になり、のびのびと育っていきます。

 

 

問題が起きたらどうするのか?

 

「しかし、そうは言っても、すべてを信用するのはどうか?」

「悪いことをしても信用するのか?」

 

と言う話になってくると思います。

 

先ず、悪いことを、悪いことだと分かっているのか?分からないのか?

が問題になってきます。

「分かっていて悪いことをしたのであれば即座に叱るべき!」

 

と感情的になるかと思いますが、

冷静に深堀りすると、

 

「なぜ悪いと分かっていて悪いことをしたのか?」

 

ここが悪いことをした本質になりますので、

聞き出して分かってあげないといけません。

悪いことをしたと言う事実も先に受け止め認めなければなりません。

なにかなにか、深い深い理由があったんだと思うことが大切です。

 

これもまた「信用」になってきます。

 

そこから、悪いことをした事実に対して叱ったり、反省を促すように言葉がけをすると、子供達は次への可能性に向けて走り出せるのだと思います。

 

「そんなきれいごと言って、もし子供に不幸にあったら、もしその不幸に相手がいたとしたら同じ気持ちになるのか?」

 

と言う話になってくると思います。

 

今の時点では、悲しみのあまり発狂するでしょう。

子供の存在が自分の生きがいでもあるので、避けることのできない心境になるでしょう。

なので、なおさら子供達にはのびのびと育ってほしいと思っています。

僕はいつも、子供達が小さいとき、手を繋いで一緒に歩いている姿を思い出します。

 

 

躾や厳しさの必要性

 

子供達のびのび育ってほしいけど、

躾や厳しさも必要なんじゃじゃないのか?

と思っている親さんや指導者のかたがほとんどだと思います。

僕も同じように思っています。

 

なぜそう思うのか?

 

「社会に出ると理不尽なことが多く、厳しい現状が待っているから、

それに耐えうる大人になってもらいたい。」

 

と考えているからだと思います。

 

少し厳しい言葉ですが、

理不尽な世の中を作り出しているのは大人です。

 

 

理不尽さに耐えうるように、理不尽に慣れさせるために、

理不尽を演じ、

子供達はそんな真相も知らず、理不尽なことが普通だと感じ、

理不尽な大人になっていき、自分の体験により理不尽を繰りしていきます。

 

大人が理不尽を大量生産しているのです。

ゴメンナサイ。

 

理不尽に人間力なんてないです。

人間力=我慢

ではないです。

 

話を戻します。

 

のびのび=ダラダラ

と感じてしまっている部分があるから

躾や厳しさが必要だと感じていると思います。

 

なので大人が叱ったり、叱ってもらったりする必要性があるのではないかと思います。

 

それじゃ、この叱るの本質はなにか?

それは

「気付いてもらうこと」

だと思います。

気付いてもらえれば自分自身に目を向けて、

主体的思考になり、物事の判断も自己責任によって行動するようになります。

これが躾や厳しさの必要性になると思います。

主体的思考でいられれば、可能性は無限大に広がっていくでしょう。

 

しかし、

理不尽なことや事実だけに目を向けて一方的に叱ると、

「気を使わせていること」

に目を向けて反応的思考になり、物事の判断は周りの様子に合わせて他者責任によって行動するようになります。

これを躾や厳しさと履き違えてはいけないと思います。

 

 

まとめ

 

要は、大人は「過度に心配しすぎ」なんです。

心配=不信

です。

 

ケガしないように、失敗しないように、

冒険や挑戦を制限してしまいます。

 

子供達を信じていない、認めていない

この状況で可能性を求めてもかなり無理があります。

 

信用することが可能性を伸ばすコツでもあります。

 

僕は、自分自身の小さな枠組みの中での可能性に子供達を縛り付けないようにしたいです。

子供達が僕を超えて成長していく様子を、

ワクワク、ドキドキ

しながら見守っていきたいです。

 

今後なにが起きようとも、

僕自身の子供の価値は無限大に高く、変わることはありません。

 

 

今日も良い一日をお過ごしください。